この前のミーティングで、出た話に、
「最近、鯨幕をあまり見なくなったかも・・・」
というものがありました。
最近は家族葬等が増えて、参列者が集まったりしないように、一目でお葬式をやっているとわかる、鯨幕は避けられる傾向にあるのではないでしょうか?
「死」というものが、隠されているということが、どれだけの弊害を生むのだろうか。
「死」を隠された世の中で育った子ども達は、どんな死生観を持って生きていくのだろうか。
そんなことを考えながら、京都の昔ながらのお宅にかかった鯨幕を、自転車にまたがりながら、眺めました。
また、何か考えるご縁をいただいたようで、ありがたいなと思いました。
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